ジャーナリズムの無定見、軽薄さ
ジャーナリズムの半文化的性格、無教養は甚だしい
ジャーナリズムの断定態度というものには、知的性格がまったく欠如しているのである
軽率であり、感情的であり、合理性を欠いている
その非知性的なること、論断の軽薄なること、まことに、呆れ果てたる有様である
人食い事件を創作したのも、新聞ではないか
水戸の容疑者を騒ぎたてたのも、新聞ではないか
太宰情死を社会問題として騒ぎたてたのも、新聞ではないか
一方に自分で騒ぎたてながら、同じ新聞の論説めいた欄で、
文士の情死など騒ぎたてる世相は苦々しいなどと、
自分でやっておきながら、責任を人に押しつけているのである
どこに良心があるのであるか
新聞以外の他のいかなる職業に於ても、
一方に右を指し、一方に左をさして、恥なきことは許されぬ
新聞だけが、それを行って、恬として、恥じるところがないのである
言論の自由と称し、報道の責務と称し、
その美名や権力を濫用するもの、新聞の如きものはない。
新聞の犯人製造は日常のことではないか
新聞は報道だけでよろしいのだ
慎しむべきは、軽薄なる正義感である
正義というものは、深く、正確な合理を重ねて論ぜらるべきもので、
その日その日のネタとりの如き心で、とりあげて論ずべきものではないのである
ジャーナリズムは、慎ましくなければならぬ
ジャーナリズムこそ、最も、大いに、人権を尊重することを知らねばならず、
自らの職業的特権濫用を反省しなければならぬのである
『切捨御免—貞操なきジャーナリズム—』/ 1948年( 筑摩書房「坂口安吾全集 第07巻」) より
適宜抜粋、省略を施し、レイアウトを変更しています。
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