この言葉はふた昔も前でしょうか。
大相撲の安芸乃島関が躍進めざましい時
安芸乃島関の活躍を評する中で出てきた言葉であったと記憶しています。
三年先稽古の実が生って頭角をあらわしたと。
この言葉は、相撲以外のさまざまな道においても通用する
普遍的なものとしてそれ以来肝に銘じています。
相撲界においては、入門したてのまだ身体が出来上がっていない新弟子の場合、
とにかく食べること、身体を柔らかくし足腰を鍛えること、
つまり相撲を取れる身体にすることが真っ先に求められ
そのための稽古が中心となるでしょう。
相撲が取れる身体になれば決まり手を身につけたり
あるいは相撲界のしきたり、礼法や作法などの立ち居振る舞いを覚え
力士としての自覚も養わなければならない筈です。
幕下の取り組みに出られるようになれば十両に上がるための稽古の仕方に変わるでしょう。
十両のつぎは幕内を狙う稽古を、というように、横綱という頂点を望んで
稽古を積み重ねていくのが相撲界に身を置くということであり、
その各々の段階において、現時点での目標をどこに置くか見定め、
到達にどれくらいかかるのかを見計らい、目先の勝敗には惑わされず、
見据えたところに照準を合わせて研鑽を積み、今日をふんばることが
三年先稽古の意味するところではないかと解釈しています。
そうした日々を全うしていくことで心身両面において強くなれるのだと。
一朝一夕に身体を大きくすることはできませんし
一夜にして上位に上がれるわけではありません。
目先の一勝のために、というのは、あらゆる稽古を経てきた上位の関取であれば可能であっても
幕下のものはどうあがいても金星を取ることはまず不可能です。
以上のように上位を狙える見込みがあるかどうかは
自分がいまどこにいて何を目指すのが最善であるかを、自身で諒解できているかにかかっています。
新弟子には新弟子なりの、十両には十両の、幕内には幕内なりの鍛錬の方法に則って
自らを律することができるかどうかです。
そのためのスパンは必ずしも三年でなくても現在置かれている状況に鑑みて
適切な日月を設定して差し支えないものだと思います。
このようなスタンスで修行に臨み励むことは、他の様々なスポーツや芸事、
あるいはビジネスなどの人材を育てる上でも、また自身が成長する上でも
あてはまる有効な方法ではないでしょうか。
以上の文章は二年以上前に記したものを少しく手直しして掲載しました。
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